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June 04, 2004

痛ましい、洒落にならない、厭世

未来検索で検索してみても、多数のブログが長崎の小学生刺殺事件のことに言及している。


世の中を茶化しているようなところがある当ブログでは、どうしてもこういう出来事に直接には言及しにくい。寓話というアプローチを採ろうにも、洒落にならない気がする。


前に「電車の窓から首を出していると」という記事を書いた。現実には、電車の窓から首を出しいていても、列車の通過空間には一定のクリアランスがあるため、ギロチンのように断首されることはまずありえない。しかし、最悪のケースを常に考える習慣を付けることは大事だと思う。自分の身に降りかかる最悪のケースを・・・・という意味だ。


「今の子供」とか「今の若者」とか、そういう限定をして語るつもりはない。自分は大丈夫だという変な安心感は、子供から老人に至るまで、現代の日本人にあまねく浸透している。たとえば、携帯電話でメールしながら自転車に乗っているあなたは、常に自分は事故らないと思ってるでしょ?


自分が被害者になることにも鈍感なら、加害者になることにも鈍感。未成年に限らず、ごく普通の人が発作的に殺人を犯すという事件が後を絶たない。自分が人を殺した後、どういう事態が待ち受けているかをふだんからシミュレーションしている人なんてめったにいないだろうし。筆者だって、そこまで考えたことはない。


だけど、その一方で、誰かに対して殺してやりたいほどの憎しみを持ったことがない人の方が少ないのではないだろうか。今回の事件も、動機は憎しみなのだろう。その意味で、同じく長崎で発生した中学生による幼児殺害事件とは性質を異にしていると思う。ひとからげにして論ずるべきではないと思う。


どんなに平穏に暮らしている人でも、実は紙一重のバランスの上に生きている。それは今に始まったことではない。人間というのは、もともとそういう生き物だったはず。だから宗教が必要とされてきた。しかし、宗教は血を血で洗う歴史の原動力にもなったきた。今も、中近東では宗教戦争が続いている。


なんとも、厭世的な気分にさせられる。この嫌な気持ちを直接書き綴るのは、今回だけにしておこう。世の中を茶化すというスタンスに戻るとしよう。

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2004 06 04 | 固定リンク

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