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May 30, 2004

むごたらしさ

しばらく、別ブログへの書き込みに時間をとられて、こっちの更新ができてませんでした。ブログって、更新しないと自分が取り残されるような気になりますね。よくない傾向ではあります。

用語の定義というカテゴリをこの間作ったので、「むごたらしさ」についても書いておきましょう。国語辞典を紐解けば、

むごたらしい

見るに堪えないほど痛ましい

などと書いてありますね。

このブログを立ち上げた直後に、このキーワードが思い浮かんだのですが、考えれば考えるほど、取り扱いが難しい概念です。

今の世の中には、むごたらしいことがあふれかえっています。むごたらしいことを題材にして何かを書こうとしても洒落にならない話になりがちです。

いや、むごたらしいことが世界に渦巻いているのは、今に始まったことではないのです。前にも書いたけど、むごたらしいという概念は、量子力学の用語を借りるなら「観測者」がいて初めて成立する概念です。どんなひどいことが行われていても、それを知る人がいなければ、むごたらしさは存在しないのです。

結局、情報網の発達が観測者の数を増やしたというべきでしょう。アフガニスタンやイラクで起こったことにしても、情報が今ほど流れていなければ、私たちは、これほどのむごたらしさに気づかなかったでしょう。

たとえば、日本に原爆が落とされたことについても、情報が少なければ「むごたらしさ」の度合いは小さくなります。私たちは子供のころから原爆の話をいろいろ聞かされていますが、アメリカの人たちはあまり知らないでしょう。だから、彼らから見ればむごたらしさの度合いもあまり高くはないということになりますね。

むごたらしさに普通の人は目をそむけます。だけど、むごたらしさに異常な嗜好を覚える人もいます。だからむごたらしい出来事がメディアで報じられると、それを模倣したかのような事件が連続して発生したりします。

このテーマ、もう少しじっくり考えていこうと思います。

2004 05 30 | 固定リンク

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